忍者ブログ
借金総額1,000万円超え一家の完済までの道のりを記します。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


どうも。

借金男・アツ兵衛です。

先月分の支払い、
やっと今日終わりました。

やっと終わったとたん、
また今月の支払い・・・。

いやになります・・・。

しかし、明日は12月10日です。

毎月10日は、
我が家のメイン入金日です。

楽しみですが、
今月は仕事が忙しくなかったので、
ちょっと心配・・・。

かなり心配です・・・。

あすの入金で、
お正月を越さなえければならない・・・。

考えるのはやめておきます。

前置きもこれぐらいにしておきます。

続きを読む前に、
↓応援のクリックをいただければうれしいです。
人気ブログランキングへ
 
PR
 
とにかくあのバブル崩壊の頃が、
地獄の始まりの時期でした。

両親は、
住宅ローン・国の制度を利用した事業用の借金などの他、
いわゆるサラ金・マチ金にまで手を出さざるをえませんでした。

そして、
僕が持っていたクレジットカードのキャッシングローン・・・。

ありとあらゆる借金をして、
生活を成り立たせていたのでした。

僕は何も知らないまま、
楽しい学生生活を送り、
そして卒業したのでした。

今回はこのへんにしておきます。


人気ブログランキングへ
↑応援のクリック、よろしくお願いします。

借金アツ兵衛のブログ!
よろしくお願いします。


<3 いざ社会人へ!>
へどうぞ。
 


追記を閉じる▲

どうもです。

アツ兵衛でございます。

一昔前と比べれば、
借金屋さんからの督促の電話が、
かなり落ち着いてきました。

ちょっとだけ気分的に余裕が生まれてきた今日この頃です。

ちょっとだけですけどね・・・。

それでは引き続き、
バブル崩壊の頃の我が家のお話をどうぞ。

続きを読む前に、
↓応援のクリックをいただければありがたいです。
人気ブログランキングへ
 
 
子供のころから僕は、
お金のことで、
苦労をしたことがありませんでした。

両親ががんばって仕事をしていたし、
もちろん贅沢や無駄遣いをした記憶もなかったので、
まさか自分の家が、
借金に頼っていかなければならないとは、
思ってもみませんでした。

学費などで子供に不自由をかけたくない、
というのが両親の考えでした。

僕たち兄妹のためなら、
借金でも何でもやってやろうという考えの両親でした。

僕は大学で、
奨学金の申し込みこそしましたが、
両親が借金をしていることにすら気付かず、
楽しい学生生活を過ごさせてもらったのでした。

今思えば、
僕は本当に子供でした。

僕の同級生の中には、
家庭の都合で、
私立の大学には行かないという友達も数人いました。

家庭の事情を十分に理解していた彼らと比べると、
僕は本当に子供だったと思います。

そして両親は、
いわゆるマチ金と呼ばれるところからも、
借金することになったのでした。

今回はこのへんにしておきます。


人気ブログランキングへ
↑応援のクリック、よろしくお願いします。

借金アツ兵衛のブログ!
よろしくお願いします。


次回、
<バブル崩壊と共に・・・4>
へ続きます。




追記を閉じる▲

どうも。

アツ兵衛です。

不景気な世の中。

今年一年、
なんとか忙しく仕事をさせてもらえましたが、
ここにきて、
ちょっと仕事が少なくなってきています。

仕事が少なくなると、
支払いのことで頭がいっぱいになって、
とっても不安になります。

しかし前向きにがんばっていくしかありませんね・・・。

今回もバブル経済崩壊のあの頃の話の続きです。

続きを読む前に、
↓応援のクリックをいただければありがたいです。
人気ブログランキングへ
 
 
1993年~1998年。

我が家には、
大変なお金が必要な時期でした。

僕たち兄妹の学費は、
あまりにも多額でした。

あまりにも多額なお金が必要だった時期が、
あのバブル経済崩壊の時期と重なったのでした。

両親が営む個人経営の事業は、
室内装飾業です。

父は主に、
職人として稼いできましたが、
時には営業もし、仕事を増やし、
まさに一家の大黒柱でした。

母の仕事は主に、会計的な仕事です。

家計のことや、資金繰りに関することは、
全て母がやってきました。

そんな両親の仕事の量も、
見る見るうちに減ってきた時期でもありました。

不景気&多額の出費のダブルパンチで、
我が家のような弱小個人事業は、
あっという間に、
窮地に追いやられたのでした。

そして両親は、
国民金融公庫や保証協会だけではなく、
銀行・信販会社・消費者金融などへの借金に、
ついに手を出してしまったのでした。

父の名義と母の名義の分を合わせて、
十数件で数百万円の借り入れをしたのでした・・・。

今回はこのへんにしておきます。


人気ブログランキングへ
↑応援のクリック、よろしくお願いします。

借金アツ兵衛のブログ!
よろしくお願いします。


次回、
<バブル崩壊と共に・・・3>
へ続きます。




追記を閉じる▲

どうも。

アツ兵衛です。

本日の大阪は、本当にいい天気でした。

とっても気持ちよかったです。

借金がなければ、
もっと気持ちよい一日だったのでしょうか・・・。

それは言うまい・・・。

ということで、
今回より、
我が家が辿ってきた道のりを、
精一杯思い出しながら、
借金アツ兵衛のブログ!を更新していきたいと思います。

まずは、
バブル経済が崩壊したあの頃を、
思い出していきたいと思います。

続きを読む前に、
↓応援のクリックをいただければありがたいです。
人気ブログランキングへ
 
 
個人で室内装飾業を営む両親のもと、
僕と2つ歳下の妹は育ちました。

僕は、小・中・高と公立の学校に通い、
妹は、中学から私立の学校に通いました。

僕は、
1993年春、高校を卒業した後、
大手私立予備校にて、
一年間の浪人生活を送ることになりました。

翌1994年春、私立大学工学部に入学。

翌1995年春、妹も私立の短期大学に入学します。

1997年春、短大を卒業した妹は、
さらに専門学校に通い始めます。

僕と妹が卒業して社会人になったのは共に、
1998年の春のことでした。

1993年から1998年の間、
まさにバブル経済崩壊のど真ん中の時期に、
僕たち兄妹は、
両親に大きく負担をかけてしまうことになったのでした。

今回はこのへんにしておきます。


人気ブログランキングへ
↑応援のクリック、よろしくお願いします。

借金アツ兵衛のブログ!
よろしくお願いします。


次回、
<バブル崩壊と共に・・・2>
へ続きます。




追記を閉じる▲